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My Favorite Thingsの最近のブログ記事
前回に引き続きPC関係の話題。
まず前置き。
これを使用するのはあみすではない。
いままでのWindowsマシンは自作ものだ。
自作歴は永く、1990前後に遡る。
当時IntelのCPUが286から386に移行しNEC全盛、Epsonの互換機がほぞぼそというのが国内の市場だった。(もちろんX68000などマニアックな機種もあったが)
やがて、386から486へ移行し始めるわけだが、そのころから、CPUの処理速度を上げるパーツが出始めた。CPUアクセラレーターと呼ばれたそれらのパーツは動作周波数を微増させたり、所謂FPU内蔵のCPUに差し替えるというタイプのモノだった。メモリは通常1MBしか搭載されず、そのうちのユーザーの使用領域は640KBだった。搭載メモリの上限は16MBで、4MBが8万円とか、そんな時代。
そのうち、IBMが参入してPC/ATと呼ばれる規格を公開した。DOS/V時代の幕開きだ。
Appleではスティーブジョブズがやがて自分たちの首が絞められることも知らず、「ようこそIBM」とキャッチフレーズを掲げていた。フィンランドの一大学院生がUnix互換のOSであるMinix互換のユーティリティや、ツールを作り始めたのもこの頃だ。
486あたりから秋葉原でPC/AT互換機用のパーツを扱う店が増え出した。
並み居る家電販売店の隙間で小さな店舗を構え細々とパーツを売っていた。
この形態はいまでも余り変わらないが、その後雨後の竹の子のように爆発的に増えたのだった。
その後、Windowsが登場し、95が出る。
Intel PentiumプロセッサとASUSTekのP55-T2P4の爆発的ヒットにより、巷は自作派であふれかえるようになった。
もちろん、このマザーだけで、10台以上組んだ覚えがある。
CPUもPentium Pro、PentiumII、PentiumIIXeonと続きCelleronで自分で配線を足しDual CPU仕様にしたものだった。ここからあみすのマルチCPU信奉が始まる。
同時期、RAIDのFastTrakが大流行し、RAID0でベンチ取ったりしたっけ。
冷却に液体窒素とか使うアホアホハードオタクなぞも登場して、自作水冷とか考えたモノだった。結局、ペルチェ素子の複数枚綴りでお茶を濁したのだが。
結局どのシステムも長続きしなかった。
そりゃそうだ。街中でF1走らせるようなモノだもの。
一走りする度にハードなメンテが必要で、そんなの毎回やっていられるわけもない。
とはいえ、このころからMemtestとsuperπは必需品だった。
なんでこんな話をするかといえば、ほぼ5年ぶりくらいに自作パーツを集め出したためだ。
Windowsから足を洗って以来、自作講座以外で触れることはなかったのだが、特にCore i7のSunday Bridgeを搭載したMacBook Proを使い始めて以来、その性能の素晴らしさにぞっこんだった。
今回は子供の自作1号機ということで、前回と同様に5年は持つスペックのマシンをと、パーツを驕ることにした。
CPU Intel Core i7 3930Kバルク + Intel 水冷キットRTS2011LC
M/B ASUSTeK SavertoothX79
MEM Corsair CML 16GX3M41600C9 (4GBx4枚)x2箱=32GB
VGA 玄人志向 GF-GTX560TI-E1GHW
Strage(たぶんSSDにシステム、1〜2GBのデータ用HDDという構成)
OpticalDrive (たぶんBD-RE対応ドライブ)
電源は玄人志向 KRPW-P850W/85+(の予定)
Chassis CoolMaster CM 690 Plus rev.2
で、OSだが、Windows7のSP1が適用された64bit版
という構成。
後はバルクのBDドライブと筐体と電源を確保すれば完了。
さて、どのようなパフォーマンスを示してくれるか。
楽しみだ。
やっと一山越えた。
これで1つの区切り。
ここから1つの本格的な始まり。
っと正念場は、つづく。
BGMとして成立しない音楽と成立する音楽がある。
女性ボーカリストをまとめたライブラリをランダムでエンドレス。
名前だけ挙げても
ミニー・リパードン
パク・シネ
マイア・ヒラサワ
吉田美奈子
ノラ・ジョーンズ
エラ&ルイ
シャーデー
ボニー・ピンク
シビル・シェパード
荒井由実
キャロル・キング
ロバータ&ダニハザ
リッキー・リー・ジョーンズ
シェリル・クロウ
中島美嘉
シーナ・イーストン
ミッシェル・ブランチ
ロージー
カレン・カーペンター
ソフィー・ミルマン
ヤノカミ
ヘレン・メリル
バージニア・アストレイ
マイラバ
シリエ・セリアネルゴール
パティ・ページ
エブリシング・バット・ザ・ガール
サラ・ガザレク
スーパーフライ
エリン・ボーデ
今井美樹
シンディ・ローパー
ラシェル・フェレル
たあ坊(ターボー?)
メロディ・ガルドー
ちあきなおみ
UA&菊地成孔
ダイアナ・クラーク
JUJU
ヒラリー・コール
吉田美和
カーリー・サイモン
鬼束ちひろ
宇多田ヒカル
リズム
ダイナ・ワシントン
エンヤ
トリンティ(トレインチャ)オーステルハウス
サラ・ヴォーン
ジョニ・ミッチェル
マリーナ・ショア
オリビア・ニュートン・ジョン
坂本真綾
とか、など
まぁ、それにしても・・・
かわいこぶりっこなジャジーなJAZZがお好みなのが一目瞭然。
ようは雑食ってことか。
しかしながら、
マイフェイバリットな史上最強なシンガーであるところの
レディ・デイは、絶対この中にはいれないのである。
彼女は襟を正して、正座して聞くべきなのである。
そんなことしたこともないけれど・・・^^;
彼女こそ史上最強のシンガーにして、史上最強最初のだめンズウォーカーで
バイセクシャルでありえないほどさびしかったひとなのである。
本日は壊れかけのラジオなのであった・・・ーー;
未整理ではあるが、ちょっと目に付いたので・・・
自画自賛な1ショット。
D3x + 24-70/2.8G ISO 200 52mm F/8 1/500
コンコルド広場上空からセーヌ川越しにエッフェル塔を眺望
すでに帰国から半月が経過したが、思い出す度に素晴らしかったなぁと
思うわけだ。
東京の街、その姿がたまらなく退屈に思える。
それにはいくつか原因がある。
古い建物が極端に少ないこと。
庶民の古い家屋の老朽化が極めて激しいこと。
街並みが人に優しくないこと。
などだ。
では、なぜそうなってしまったのか。
多分地震大国で、かつ木の建築文化だったためだろう。
もう一つの大きな要素が日本人が新しもの好きで、良い意味でも悪い意味でも「軽薄」な文化的下地を持っているからではないか。
そして最後の要素が、アメリカによる占領統治だ。
この辺りが同じ敗戦国であるドイツとの分岐点になったのだろう。
古い物を大事にしない文化、お年寄りに敬意を払わない文化。
使い捨ての文化。すぐ新しい物に乗り換える文化。
これらすべての根っこは同じところから伸びているように感じる。
ネットで見た話。
どこぞのショップのiPhoneで、Siriに「世界中にはどのくらい人間がいるの?」と聞いた12歳の子に、Siriからとんでもない罵声が浴びせられたという。罵声の部分がユーザー名として登録されていたためらしいが、母親はカンカンに怒って、店に猛抗議したとか。
で、早速やってみた。
"How many people are there in this world?"
Siri はare thereのところでひっかかった。
(いや、厳密にはあみすの発音がNGな訳だが・・・)
で、ここを強調したら、こんどはinでタイムアウト。
確実にそこそこ速く、しゃべってみた(つもり)。
するとSiriはin the lot?と聞き返す。
in the wood?
in the ・・・(タイムアウト)
orz
なんとWorldでひっかかるとは・・・
そこで、
Where are you , Siri?
と聞いたところ、
That's classified,あみす.
だって。
・・・
機密事項だそうです。^0^/
こりゃ楽しいし、英会話の練習になるかもねぇ。
ついでにSiriに自分の名前を呼んでもらいたくて、
連絡先登録の変更を行ったあほあほがここにいます。ーー;
車窓から。
4422 云わずと知れた鉄の時代の始まり
それまでの石の時代から鉄の時代に移った象徴がこのエッフェル塔だ。しかし、無骨で、無意味にハイスペックなこの建造物は、それでいてやはり、美しい。
東京タワーは或る種完成された美しさがある鉄塔だ。
エッフェル塔は未完成な無骨さにフランスならではの意匠美が融合された傑作だろう。
4436 ルーブルをセーヌ川側から望む。
BMWなどの広告費が歴史や文化を後世に伝える。
ノートルダム側(東側)の外壁は大規模な修復を行っていた。
4464 ノートルダム大聖堂
別扱いで、たっぷり撮っているのでまたそのうちご覧いただけるでしょう
4479 オペラ座 せむしおとこといい、かいじんといい、ゴシックに事欠かないのも巴里の特徴か。
4478 名も知らぬ建物だって、このとおり。
ならぬ、目から曇りが取れたような感覚。
いつものとあるサイトのとあるスレッドでのとある方の発言。
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ズームレンズを使う時に、ズームレンズで焦点距離を変えて
『メインの被写体の大きさを変えて』撮る方が多い様ですが、
レンズの焦点距離は『撮影意図に合わせて選ぶ』もので、
『被写体の大きさを変える為に使う』ものではありません
広角側の焦点距離だとメインの被写体が小さくなるのであれば、
撮影者がメインの被写体に寄れば大きく写せます
所謂、『足で稼いで撮る』と云うことですね
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知っていたはずなのに、そうしていたはずなのに、
知らず知らずのうちに「目的」と「手段」が逆転していたか。
まさに本末転倒だ。
最近、メインの被写体と背景について、いろいろ考えさせられる写真を見る機会が増え、
単純に手放しで感動していたのだが、たぶん、見方も変わってくる。
感動は変わらずとも、それを我が身に取り込む成分に、必ず変化が訪れる。
そんな予感がある。
