神保町つながりの四半世紀前のおはなし。そして、今もつづくおはなし。
高校生のころ、どうしても見つからない本のために神保町界隈を徘徊し始めて、アダイヴをみつけたのは以前のブログにも記したところ。
アダイヴで仕事し始めたのは紆余曲折の後、飯田橋(市ヶ谷?)の某大学生になった1年の秋くらいか?
高校2年の秋から客の一人として出入りし始めて3年。
アダイヴには、なかなか空きが無く、ここの一員になりたいという熱意だけが空回りし続けていたが、晴れてアダイヴの一員になってからは、この界隈はまさに根城(生活の拠点)になった。
一日10時間以上は居続ける場所だったから、この界隈で1食、2食というのも当たり前になっていった。
今も昔もあまり変わらないのが昼食メニューの決め方。
ひとところに腰を落ち着けると3ヶ月から半年は同じメニューを食べ続けるのがいつものパターン。神保町すずらん通りには、そんな拠点がいくつも出来ていった。
魚玉やキッチン南海、スヰートポーズなどはまさにそういった店だった。
魚玉は魚定食。南海ではカツカレー大盛り。スヰートポーズなら餃子定食(大)。
スヰートポーズでは、今でもほとんど変わらず、あの頃のメニューが食せる。
スヰートポーズの餃子
それはあの頃ある種のステータスだった。
ちっぽけなステータスだったけれど、最初の頃の2時間分の時給と同等のその餃子は「あこがれ」のひとつだったのだ。
なんとも古風なキャベツの入った味噌汁がつくその定食は・・・
今でもたまに耐え難い食欲を伴って、足をあそこに向かわせる。
ニンニクやニラなどの餃子の定番が入らないその餃子は皮を閉じてすらいない。
この店が過去の思い出にならなくなったのは、ここ数年のこと。
今、スヰートポーズの厨房に立っている?代目は最愛のカズピの高校の同級生だったのだ!
それを知った瞬間から、スヰートポーズは過去の思い出の店から現在進行形の店の一つに変わった。
昔から大好きだった店が「今でも」そこにあることのしあわせ。
一心に一つの仕事をし続けている人たちがそこにいることのしあわせ。
そして、思い出が継続し続けることのしあわせ・・・
過去をひとつひとつ捨てていくことも人生の一場面として大事なことかもしれない。
でも、人と人の繋がりが、自分という一個の「ひと」を作り上げているという事実は
時にその繋がりの中に新たな奇跡を生む。
こんなささいな事が人生を豊かに、楽しいものに変えてくれるんだ
と思う。

数年振りにお会いしましたが本当にお変りなく感じました。
若いですよね。
アダイブの話はとても懐かしいです。珈琲の飲めなかった僕も大学を卒業した後もひっそりと通い続けたものです。その後先輩の悪影響で(?)伊丹君と共に珈琲を生業とする羽目になり、今ではアダイブと縁の深いベシェで伊丹君の後釜として働いている因果に感慨深いものを感じています。
ベシェは初めは僕が入りたかったんです。んが空きがなく、その後伊丹君があっさり入った時は、僕も勧めたとは言え複雑な気持になったものでした。
不思議な縁です。
また飲みに行きましょうね。